生い茂る草木と鳥たちの鳴き声が響き渡っていて、多様性そのものであるかのような熱量がある。だけど、山の中を抜けていく風はどこまでも涼しい。熱気と冷気の行き交う六甲山頂付近で3週間前から暮らしはじめた。海、川、丘と住んだものの山に暮らすのははじめてだった。
どこに暮らすかはその人の「当たり前」を形成する。その土地の生活が、ものごとの捉え方や考え方に影響を当てる。そういう意味で、生まれ土地を離れてみるのは、おもしろい。
日本人口の1/4が住む首都圏、20年にわたって住まれ育った東京からドイツ・ベルリンに引っ越した。
デザインという行為には常にデザイナーの意思が介在している。対象となるヒトに情報や物質をどう認知させるかというのがつまるところのデザインであると僕は考えている。手法論やデータ分析などはもちろん大事だが、果たしてそのさきで日々生活を送っている人々について、知っているのだろうか。人類の営みをより豊かにすることを目指したときに、東京のど真ん中で日本人だけを対象にデザインしていても、それは「人」に向けたデザインとは言えないのではないかと思い、日本から一度離れた。
知らない国の馴染みのない文化の中で生活すること、最高気温がマイナス10℃の雪の大地で暮らすこと、緑と鳥に囲まれ永遠と続くように思える山道を歩むことは、まだまだ知らない世界があることを肌で実感でき、この世界を生きる希望になった。
いろんな場所に住み、その土地に触れることは、僕の中で「セカイとひとを知る旅」である。見えてるものは限りなく狭かった。気がつきにくいだけで、目の前の生活のなかには美しさが、となりの自然のなかには楽しさが溢れている。
写真というのは、僕の中でそういったこの世界の可能性や美しさの破片のようなものです。東京、北海道美瑛町、湘南、六甲山での生活を中心に、来月に25歳になり、「旅」の1/4が過ぎようとしている今の僕の視点。六甲山上、森の中、多様性と吹き抜ける風の隙間からそんな破片を覗いていただけたらなと思っています。